オカルト(中心)ライターのスピンオフ原稿

キャリア28年の翻訳家/ライター宇佐和通の日々のあれこれ

ビル・ポーターから学べること

ストーリーという形では絶対に語られることがない実話の力に驚かされてばかりの宇佐和通です。

 

 

最近、さまざまな意味で驚くべき実話ばかりを集めた本の企画を考えていて、あちこちでさまざまな話を読んでいます。2年続けて奇跡的な逆転勝利で甲子園行きを決めた石川県の二つの高校の話とか、ユダヤ人の強制収容所で出会った男の子と女の子が何十年か後にニューヨークで再開する話とか、ヨットの上で落とした結婚指輪が何年か後にスーパーで買った魚のお腹から出てきた話とか…。世の中は奇跡で満ちているのです。今日は、中でも特に素晴らしかった話をシェアさせてください。

 

 

アメリカ中西部、ミネソタ州に本拠を置くワトキンス・インコーポレイテッドという日用雑貨品を扱う会社があります。1962年、ビル・ポーターという男性がこの会社の訪問販売部門のセールスマンとして入社しました。以来半世紀近くにわたって訪問販売一筋に生き、オレゴン、アイダホ、ワシントン、そしてカリフォルニアという4州の販売地区内で、トップセールスマンの座に就いた期間が数年もありました。

 


ビルがほかのセールスマンたちと少しだけ違ったのは、脳性まひのため手足に不自由があって運転できないこと、そして言葉がうまく話せないことでした。しかし彼はセールスという仕事と真摯に取り組み、オレゴン州ポートランドの町をくまなく歩きながら、一軒ずつドアを叩いて商品を売り歩きました。やがてポートランドでは知らない人がいないほど有名な存在になります。

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2013年12月3日に亡くなった時は、全米から弔辞が寄せられました。ワトキンス・インコーポレイテッドの本社に涙声で電話をかけてきた男性もいたそうです。「子どもの頃、ひどい言葉で彼をからかってしまった。叶うものなら、何でもいいから彼から買って料金を直接渡し、心からお詫びを言いたい」

 

思ったのは、天職ということです。ビルにとってセールスは肉体的ハンデなどをはるかに凌ぐレベルで愛すことができた仕事だったのでしょう。文章を書くためにいろいろ調べ、こういう話を詳しく知ることができる、そして多くの人たちとシェアできることは、僕にとって本当に幸いなことなのです。

 

 

今日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。次回のアップでお会いしましょう。