オカルト(中心)ライターのスピンオフ原稿

キャリア28年の翻訳家/ライター宇佐和通の日々のあれこれ

生きたいように生きて成功した人を知っています

最近、IFの世界に思いを馳せることが多くなっている宇佐和通です。

 

さっそく「もしも」の話をさせてください。自分が二十歳くらいだった頃に、生き方とか仕事に関する実用的なことを実例を挙げながら語ってくれて、かつちょっと面白い大人が身近にいてくれたらよかったと思います。若くて何でもできると疑わない僕を「無謀だからやめなさい」といさめるのではなく、「人生一度なんだから、とりあえずやっちゃえよ」なんて煽ってくれる大人です。まあ、止める方向の意見をいっさい聞かないで突っ走ったからこそ、今の自分があるわけですが…。もしタイムマシーンがあったら、二十歳の頃の自分に会って、いいことも悪いことも自分の口から直接伝えてやることができます。


こうした思いに歯止めをかけるものがあるなら、それは絶対的な信念あるいはそれにきわめて近い何かということになるでしょう。無条件に、本能的に信じられるものがある人は幸いです。こうしたしたものがあれば、してしまったこと、しないままになっていることに対するさまざまな思いで心を乱される時間は確実に減るはずです。


信念になりえる可能性があるもののひとつとして、宗教観が挙げられると思います。かつて勤めていた会社に、敬虔なクリスチャンの男性がいました。1年ほど一緒に働いたある日、彼は突然辞表を出すと言い出しました。「なんでそんなに急に辞めるの?」と尋ねると、彼はそれまで見たこともないようなキラキラした目でこう言いました。キリスト教の布教活動をしたいんです。僕のために十字架の上で死んでくれたイエス・キリストに恩返ししなきゃと思って。もう、今しかないんです」

 

いささかもブレない口調でここまできっぱり言われたら、止める理由なんてあるわけがないでしょう。だから僕は、筆者なりの信念に基づいて「人生一度なんだから、思うように生きればいいじゃない」と答えました。この瞬間、僕は彼に神が宿っていることを感じました。後先考えず、気持ちに任せて行動を起こさせてしまう何か。それが神の御意だと思ったのです。

 

会社を辞めてからしばらく経っても、彼から手紙や電話をもらいました。当時は伝道活動で日本中を駆け巡っていたようです。おそらく今も、いささかもブレることなくたくさんの人たちに神の道を説いていることでしょう。

 

今日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。次回のアップでお会いしましょう。