オカルト(中心)ライターのスピンオフ原稿

キャリア28年の翻訳家/ライター宇佐和通の日々のあれこれ

私的記事構成論

名古屋VS鹿島の試合を見ながら、30年前のJリーグ開幕日を思い出している宇佐和通です。

 

先ほどまで、とある媒体からご依頼をいただいた3000字くらいの記事の構成を考えていました。日本では小学校の高学年くらいから始まって大学入試の小論文まで起承転結という概念が強調され、それに従って書いていく癖がついていきます。でもアメリカ人は、映画の脚本なら基本的に3パート、論文は新聞記事的に結論から語りながら大見出し➡中見出し➡小見出し的に進んでいくことが圧倒的に多い気がします。

 

僕自身はどうかというと、文字数に関係なく、やはり起承転結という流れで書く癖がついています。そちらのほうが構成を立てやすいからです。まず考えるのは、書き口も含めて「どんな風に書くか」です。テーマの性質が最も伝わりやすい文章を選ぶうえで、学術論文風からブログ風、小説風みたいな概念を文字化する努力をいつもしています。こうしておかないと「何が書いてあるか」まで引っ張れない可能性もあります。そう考えると、記事のタイトルとか最初のつかみの文章にも気を遣うようになります。

 

次に、書くにあたっての資料はありとあらゆるものを徹底的に集めて読み込み、なんとなく構成の輪郭を浮かび上がらせるようにしています。ご依頼をいただく際の話の流れで浮かび上がることもあります。こういうときは資料集めも楽になります。

 

資料を読み込んでいく中で、多方向に行きそうなちょっとした情報が見つかることが多いので、あえてそれを盛り込み、アクセントとしてちりばめるみたいなこともします。僕はつかみの部分にすごく気を配るタイプなので、その時に話題になっていることと各記事の内容に接点や共通点はないか、みたいなことも考えます。読んでいただく方々と記事のテーマの距離感を縮めるためです。

 

あとは、事実だけを述べてつなげていくだけではなく、絶対的に自分のものである主観を盛り込むことを忘れません。これをしないと、ただのデータ原稿になってしまいます。内容が正しければ記憶に残る記事になる、とは思っていないので…。

 

今日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。次回のアップでお会いしましょう。