オカルト(中心)ライターのスピンオフ原稿

キャリア28年の翻訳家/ライター宇佐和通の日々のあれこれ

字幕は翻訳と俳句の交差点

『スッキリ』も『舞いあがれ』も終わっちゃうので、平日の午前中に大きなロスを感じそうな宇佐和通です。

 

 

僕は、字幕翻訳のお仕事もたびたびさせていただいております。字幕翻訳というのは、キャラの性格を考えた口調や、口の動きとのシンクロにも気を配らなければなりません。読むための文章としての翻訳ならある程度まで長くひっぱれますが、画面でキャラの口が動いている間にセリフが終わるよう字数を調整する必要があります。

 

昔、アメリカのドキュメンタリー番組の字幕を付けていた時に「これって俳句に近いかも」と感じました。そこで、使える秒数に文字数を五七五調に当てはめてみたら、これが結構ハマりました。

 

「字幕こそ 俳句に似てる 翻訳は」

 

みたいな感じです。それに、俳句調を意識してセリフを組み立てていくとリズムが生まれて、全体の流れが良くなることもわかりました。これにちょっと慣れて、ときどき字余りみたいな感覚で少しだけ長い部分を盛り込むと、いいアクセントになるんです。

 

もちろん、この方法がすべての場面に当てはまるわけではありません。でも、このちょっと変わった方法を思いついたことで、いろんな意味で幅を広げることができたような気がします。

 

他の訳文との差別化ができるようになりました。文章もアップテンポ的な響きのもの、そしてバラードっぽい流れのものがあります。フォントが変わるくらいの感覚で訳し分けることができればいいのですが、そこまでは行けていません。まだまだ、読みが足りないんでしょう。

 

話し言葉としての英語は、1拍に多くの音が詰め込まれることが少なくありません。わかりにくいたとえかもしれませんが、サザンの『Love Affair』のサビの最後に近い部分(まーだー帰りたくなーい、はやーく行かなくちゃ)みたいな感じの詰め方です。こうした方法で、字幕翻訳の五七五調とは正反対の効果が生まれます。ズームインとズームアウトみたいですね。そういえば、俳句の夏井いつき先生も視点が動くような、映像的な言葉の使い方が大切といったようなことをおっしゃっていました。

 

今日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。次回のアップでお会いしましょう。