オカルト(中心)ライターのスピンオフ原稿

キャリア28年の翻訳家/ライター宇佐和通の日々のあれこれ

比べるという行い

アップの頻度がやや落ち気味で焦っている宇佐和通です。

 

僕は今までかなり多くのスピリチュアル系のタイトルを翻訳する中で、自分なりの哲学みたいなものを身につけました。それは、自分と誰かを比較するという行いに関係することです。

 

身長や体重、髪の毛の量や色とか、家、車その他の持ち物。あるいは収入とか学歴。人は何かにつけて、自分と誰かを比べたがります。比べるだけで終わるのならそれはそれでいいのですが、そうはいきません。誰かが優越感を覚えていれば、誰かがえらくへこんでいたりするのです。


幸福感に関しても、相対評価で考える人の数が圧倒的に多い気がします。思えば、人間は自分と誰かを比べることでアイデンティティを強く感じる唯一の動物かもしれません。比べた結果が得られるものが自分にとってポジティブであってもネガティブであっても、比べるという行い自体をやめることはしません。


1908年、『キバリオン』という本が出版されました。古代エジプトの思想家ヘルメス・トリスメギストスが拓いたヘルメス哲学について詳しく触れた内容です。ヘルメス哲学は7種類の原則を軸に展開します。その中に〝極性の原則〟というのがあって、短い言葉で本質を表現するなら「正反対に位置するふたつのものの違いは、度合いに過ぎない」という言い方になるでしょう。


たとえば、熱いと冷たいは温度という尺度の両極端に位置していますが、二つの極の間には数えきれないほどの細かい目盛りが存在し、どちらかの極に立って考えることによって、より冷たいとか、より暖かいという点が決まるのです。


お金という尺度で言えば、性質がまったく異なる二つの極は、裕福と貧困ということになります。もちろん、その間に数えきれない目盛りが存在します。自分の状態はどの点と重なるのか。あるいは、ほかの誰かと比べる時、自分と相手の差はどのくらいあるのか。差があるなら、それをどう解釈するか。そして、自分なりに納得できるようにするためには何をしたらいいか。


貧困という一端だけに意識を向けていると、基準がより貧困に近い一点に置かれたままになってしまいます。裕福寄りの一点に意識を据えれば、そこが基準となります。そして、どこに基準を置くにせよ、二つの極はそれぞれの方向にどこまでも延びています。キバリオンには、こんな言葉があります。


「意識の変化は、両極にはさまれた目盛りの度合いを少し変えるだけで起きる」

この間見たバラエティ番組で、マツコ・デラックスさんが「望むから苦しい」という旨のコメントをしていました。誰かと自分を比べ続け、「あの人みたいになりたい」、「ああならなければ」と望みながら生きるのは、確かにきついでしょう。無意識の圧を自分にかけていることになります。比べるけど、望まない。だから、競わない。ヘルメス哲学を体現するそんな生き方をしたいと思います。

 

今日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。次回のアップでお会いしましょう。