オカルト(中心)ライターのスピンオフ原稿

キャリア28年の翻訳家/ライター宇佐和通の日々のあれこれ

何が何でも優位に立ちたがる人たち

梅雨入りが近づいていることが皮膚を通して感じられ、憂鬱になっている宇佐和通です。

 

僕は、“断り下手”です。何か、自分の望みではない方向に話が進みつつあるとき、最初の何ラリーかは曖昧な言葉づかいではぐらかそうとするのですが、それでもぐいぐい来られると、あれこれ理由をつけて断り続けるのがめんどくさくなってしまうんです。でも、最終的に相手の言いなりになることはありません。断り方が下手なだけであって、断りきれないわけではないんです。

 

ただ、断りきった後にいつも嫌な感じに襲われます。ああ、ちょっと強く言っちゃったかな…。もう少し言い方があったんじゃないかな…。快く過ぎたとはいえない時間の種をまいたのは相手の方なのに、間違いなく不必要な反省の瞬間が必ず訪れるんです。

 

自分から進んで嫌われようとする人はいないでしょう。だから、僕に向かってぐいぐい来る人だって、あえて嫌われたくてしているわけじゃないと思います。おそらくは、自分が思うところや信じるところを伝えたいという気持ちが何より勝ってしまうのでしょう。

 

相手の意見を理不尽な形で押し付けられるのはいやだけれど、それをあからさまな態度ではっきり拒絶することによって空気が悪くなるのも極力避けたいんです。相手との関係性にも影響するでしょう。それに僕の場合、自分の中に「(できれば)誰からも嫌われたくない」というさもしさがあることも認めなければなりません。

 

アサーティブネスという言葉があります。第一義的な意味は「自己主張」でしょうが、もうちょっと複雑なニュアンスを感じます。「相手の感情をいたずらに逆なですることなく、自分が思っていることを思った通り相手に伝え、かつそうした行いに関する罪悪感を引きずらない姿勢」と言えばいいでしょうか。

 

“アサーティブネス”というキーワードで検索をかけたら、3万ちょっとのヒットがありました。英語で検索したらヒット数は100万以上になりました。YouTubeのビデオ講座まで見つけました。僕のような、ある意味ヘタレな感覚で生きている人は、わりと多いようです。

 

大切なのは、相手の意向を無視して自分の気持ちを噴出させてくるタイプの人が存在すること、それを真っ向からすべて受け入れる必要はないことです。アサーティブネスを実践している近頃は、ひとりで反省する時間も短くなりました。

 

今日もここまで読んでいただき、ありがとうございました。次回のアップでお会いしましょう。